
ダムや河川などの水路に設けられた「水門」は、川や湖などの水の流れや水位・水量を調節することで災害から人々を守り、貴重な水資源を有効活用するための重要なインフラ設備です。しかし近年、水災害の激甚化や設備の老朽化、少子高齢化に伴う技術者不足が深刻化し、水門を含むインフラ設備の維持管理が社会課題となっています。
その課題解決に、国や自治体、企業だけでなく、当事者である市民が自ら、しかも「楽しんで」参加する。そんな保全活動の実現を目指すスマートフォンアプリ「水門アクアリウム」をIHIグループは開発しました。10月に閉幕した大阪・関西万博でも、このアプリを活用した来場者参加型のイベントを行いました。
初めにアプリケーションの仕組みをご紹介します。ユーザーが地域にある水門を訪れてスマートフォンで撮影し、気になったことなどコメントを付けて投稿すると、AR(拡張現実)の魚をゲットでき、アプリ内の水槽にストックされます。水門ごとに異なる魚が用意されているので、いくつもの水門を回って写真を撮ることで、水槽には色とりどりの魚が泳ぐようになります。

ユーザーから寄せられる写真とコメントにより、設備を管理する事業者や自治体は各水門の状態を随時確認でき、劣化や損傷、不具合の予兆を早期に発見し、対策を取ることができます。軽度の損傷は軽度のうちに、重度な損傷は深刻な問題が起きる前に対処することで、コスト軽減や効率化も期待できます。
開発のきっかけは2021年にIHIグループが行った、10年後の社会変化を見据えた技術開発を行うための「未来洞察」でした。IHIの吉田公亮さんは「保全、防災、減災をテーマに検討する中で、国土交通省の統計データでも高度成長期に造られたインフラ設備の劣化と担い手減少は明らかでしたので、その維持に市民を巻き込んでいくことが一つの方向性として出ました」と話します。

実際の開発を行ったIHIインフラ建設の熊谷公雄さんは以前、水門の点検業務の効率化を支援するシステム「GBRAIN」を開発していました。「『水門アクアリウム』は、それとはまったく異なる視点で発案し、地域コミュニティーと一体になった防災、減災や市民参加型のインフラ監視をするものです」と振り返ります。
「防災が自分事になっていないと、災害時に避難行動を取るのが遅れてしまいます。平常時は、ただ川があり、雨が降ると水位が上がる程度にしか思わないかもしれませんが、災害級の大雨が降ればさらに水位が上がり、水門から水があふれて洪水が起きる危険があります。だからこそ、大雨の時はすぐに逃げよう、周りの人にも声をかけようと判断できるような意識を持つことが重要です。そうした意識を持ってもらうためにも、この取り組みは有用だと考えました」とも。

市民に水門まで足を運んでもらい、写真を撮影して投稿してもらう。「インフラ保守のため」「防災のため」という目的を理解してもらうだけでは、そう簡単に行動にはつながらないでしょう。そこで、ゲーム要素(ゲーミフィケーション)を取り入れることで行動変容を促そうと考えた熊谷さん。ゲーム開発で数多くの実績を持つ面白法人カヤックこと株式会社カヤックの協力を得て、「水門アクアリウム」の完成にこぎ着けました。
アプリには漫画で水門について学ぶコンテンツも取り入れました。「水門は大事なものなんだ、壊れたら大変なことになるんだと理解してもらえると、より参加意欲も防災意識も高まり、水門の様子を注意深く見てもらえると思いました」(熊谷さん)

かねて水門の維持管理に課題感を持っていた千葉県香取市の協力を得て、2023年12月と2024年12月の2回、同市の水郷佐原あやめパークで実証イベントを開催。ウォークラリー形式で地域住民に水門を巡ってもらい、各水門の撮影とコメント投稿をしてもらいました。
実証の結果、地域住民が撮影した写真のうち簡易点検に活用可能なものは約24%と高い割合であることが分かりました。参加者アンケートでは、水門に対する関心度が参加前後で23%から59%に上昇し、参加前の「興味が全くない」「あまりない」が12%から0%に低下。水郷佐原あやめパークの冬季閑散期の集客活性化、地域コミュニティーの促進にも貢献でき、参加者全員から次回開催があれば再度参加したいとの回答が得られました。

さらに思わぬ展開につながります。香取市でのイベントについて紹介したIHIのメールマガジンを読んだ株式会社 日立製作所の方から連絡がありました。IHIのメールマガジンを担当している高木真歩さんは「日立製作所さんもパートナーとの共創を通じて、社会インフラ維持管理といったテーマで市民参加型の新たな社会課題解決事業を検討されていて、こういうことにIHIが取り組んでいるのであれば、水門以外でもできるものを一緒に考えたいと声をかけていただきました」と話します。
そこから日立製作所とディスカッションの場をスタート。初めは社会インフラ全般を対象にして議論していましたが、対象が大き過ぎたため、まずはイベント実績のあった水門をベースに課題感の洗い出しをすることにしました。折しも時期は、大阪・関西万博会期中。両社を含む12の企業・団体と博覧会協会が共同出展する「未来の都市」パビリオンで、「水門アクアリウム」を使ったイベントができないかと企画しました。

そして8月、「水門アクアリウム」のシステムを生かして、パビリオン内で気になった展示や「いいね」と思ったものを撮影してもらい、コメントと共に投稿してもらうことでARの魚がゲットできるイベントとして実施。来場者からはパビリオン内の気になった部分が次々と投稿され、最終的に約4000枚が集まりました。
「来場した方がどういう視線でパビリオンを見ているのか、どこに着目したのかが分かって、IHIだけではなく他者さまも含めて、大きな成果がありました」と熊谷さん。水門の劣化、損傷といったネガティブな情報だけでなくポジティブな情報の収集にも活用できることが分かりました。
参加者アンケートでは、「水門について学びたい」という回答が47%あり、「水門アクアリウムのイベントに参加したい」という回答に至っては93%と非常に高い関心が示されました。吉田さんは「写真を撮る目的があるのでパビリオンを今までとは違う見方で見られたとか、意識して見ることができたというコメントがあって、このアプリの可能性を感じました」と喜びます。

「それは水門アクアリウムが平常時も、水門でなくても使えるということですよね」と高木さん。「日立製作所さんとのディスカッションでも、緊急時に活躍させるためには平常時から使い、さらに継続して使える仕組みにしておく必要があるという課題が出ました。平常時から緊急時まで使えるアプリに育てていければ継続性も、発展性も見えてくると思います」と期待を込めます。
熊谷さんは「カヤックさんからは『面白さ』と『ゴールまでのスピード感』の重要性を教わりました。ゲームの流行はスパンが短くて、1年が勝負という世界。次々と企画してリリースして、いかに飽きられないように面白い要素を入れていくかを考えておられました」と話します。「資料の作り方一つ取っても学びはあって、日立製作所さんはどんな阻害要因があるかをしっかり洗い出していて、そういう目線で見るのかと驚かされました」。
「開発段階では一人で考え込むことが多く、どうしても自分の考え方が凝り固まっているところがあって、社内で意見を聞いてもIHIの視点から抜け出せずにいたのですが、両社とじっくり話すことで一度考え方をリセットできたので、その柔軟さに感心しました」とも。高木さんが「新たな視点をもらって熊谷さんがワクワクしている姿を何度も見てきました」とほほ笑むと、「凝り固まったものをぶっ壊されるのがうれしいんですよ」と熊谷さんも笑顔で返します。

共創を進める上で大切なことを聞くと、「自分は相手の意見を素直に受け止めちゃいますし、言いたいこともどんどん言っちゃいますね」と熊谷さん。一歩引いた視点から高木さんは「その意見を言いやすい場をお互いがつくろうとすることではないでしょうか」と指摘します。
「私は技術のことは分からないので、日立製作所さんとIHIの技術者をつないで終わるはずでしたが、一般市民として参加するのもいいかなと思って、市民としての意見を言っているんです。そういう言葉もきちんと聞いてくれる人たちが集まるからこそ、新しいものも生まれていくのかなと」。確かに、市民を巻き込むインフラ保全を考えるには、専門家だけでなく市民の意見が欠かせないはずです。
「水門アクアリウム」のアプリは、子どもたちでもARの魚をレアカードのようにゲットして見せ合う「楽しみ」を体験できます。世代を超えて誰もが楽しめるこの仕組みを活用することで、防災への意識を自然と高めていきます。その「楽しみ」が、適切に維持管理された水門をはじめ、橋梁やさまざまな社会インフラ設備によって人々の暮らしを守ることにつながります。こうした未来の市民参加型インフラ保全を実現するため、IHIグループはさらなる共創パートナーを求めています。
取材協力:
香取市
大阪・関西万博2025「未来の都市」パビリオン
株式会社 日立製作所
株式会社カヤック
吉田 公亮|社会基盤事業領域 事業推進部 防災・減災ソリューショングループ(取材当時)
熊谷 公雄|IHIインフラ建設 管理本部 企画財務部(取材当時)
高木 真歩|事業開発統括本部 関西支社 営業推進グループ
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