技術開発の現場では、現在の技術を起点に物事を考えることが多くありますが、その延長線上では見えてこない未来の可能性があります。別の視点から未来を眺めることで、新たな事業や研究開発の種が見つかるのではないか。そんな思いから、IHIは東京科学大学、株式会社博報堂と共に2050年の未来社会ビジョンを共創する「未来洞察」の活動を行いました。IHIのプロジェクト参加メンバーにその取り組みを振り返ってもらいました。

IHIでは近年、「既存事業の延長ではない研究テーマが十分に生まれているのか」「10~20年先の社会を起点に研究開発を構想できているのか」という課題意識が顕在化していました。技術開発本部管理部長の坂元理絵さんは「将来を見る取り組みをしていなかったわけではありませんが、どうしても今の積み重ねで『こうなるだろう』と考えがちでした」と話します。

そこで2024年度に東京科学大学と共同で、「2035年のIHIのSX(サステナビリティー・トランスフォーメーション)を考え、創造する」をテーマにしたグループワークを実施。持続可能性のある地域社会の未来像を描き、そこから技術課題を考えるという試みです。
その中で学んだのが「脱構築」の考え方でした。当たり前だと思っている前提を少しずらしてみたらどうなるのか。常識とされているものを疑ってみたら、どんな未来が見えてくるのか。普段とは異なるアプローチに手応えをつかみ、新たに「未来洞察」という手法のパイオニアでもある博報堂の参画を得て2025年度、今回のプロジェクトを始動。「2050年における『AIと共創する安心かつ安全な生活を支えるインフラ』」をテーマに議論を重ねました。
最初に行ったのは「未来事象」の作成です。技術の知見、アカデミアの知見、生活者発想という3者それぞれの強みを生かして確実性が高い変化の予測を収集し、「このまま進めば将来こうなるだろう」という仮説を立てました。続いて取り組んだのが「未来兆し」の作成。博報堂が蓄積している未来変化の兆しを基に、不確実ではあるものの将来起こり得る変化の見立てを行いました。その2つを掛け合わせ、「未来アイデア」の発想へと進みます。

参加に当たり、参加メンバーの德岡慎也さんは「ワクワクと不安の両方があった」と振り返ります。「2050年というまだ先の未来を、どれぐらい予測できるのだろうと思いました。特に今回のテーマにはAIが含まれていて、ここ数年だけを見ても急速に進化しているので、25年先を考えることの難しさを感じました」

同じく参加メンバーの小松寛さんは、普段とは逆の思考の流れに戸惑いもあったといいます。「今ある技術で社会をどう変えるかという発想ではなく、未来の社会がどう変わるのかが先で、その変化に技術がどう応えるか。そういう順番で考えるのは慣れていませんでしたが、頭の新しいところを使っているようで、新鮮でもありました」

「私たちはどうしても技術的なことやハード面から意見を出してしまうんですけど、人の価値観や心といった視点からの意見が出ていたのがまず驚いたところです」と話すのは矢ヶ部菜月さん。德岡さんも「それで言うとAIを信仰の対象として捉える人が現れるかもしれないという話があって、そういうこともあり得るのかもしれないなと、はっとさせられました」とうなずきます。

そうしたグループワークの様子を、「3者のメンバーが交ざることで、すごく面白い発想が生まれているなと思って見ていました」というのは技術開発本部共創グループの後藤周作さん。「IHIの参加者は技術者が中心なので、どうしても技術起点で考える傾向があり、生活者視点が抜け落ち気味になってしまう。その視点を持ち直せたのは大きかったと思います」

「未来アイデア」を基に、技術的な側面だけでなく、未来の人々が何を感じ、何を求めるのかという視点も加えて議論を重ね、「未来シナリオ」を検討。専門家との対話や相互レビューも経てブラッシュアップし、6つの未来シナリオが完成しました。

完成に至る過程では、議論や文章など言葉中心で検討してきた未来シナリオを「見える化」する作業がありました。頭の中にあった漠然とした未来像を具体的なイラストにするための依頼書作りや対話を通して、それまで見えていなかった曖昧さや思い込みが次々と浮かび上がってきたといいます。「メンバー間でもビジュアル化する前は思いが若干ずれている部分があった。それがイラストレーターさんとの会話の中で意志が統一されて、一つの絵にまとまっていく過程は非常に参考になりました」と後藤さん。
例えば德岡さんが関わった未来シナリオ「みんなの希望が見えて叶う、マイノリティという概念をなくすまちづくり」では、どういう人を描けばいいのかという疑問が生じます。「暗に誰かをマイノリティに指定してしまうことにもなり、多様性そのものについて考え直すきっかけになりました」(德岡さん)

小松さんが関わった「五感デバイスによる心の防災」では、イラスト化に当たって未来のデバイスの姿を想像する必要がありました。「今よりもっとスタイリッシュだろうとか、身に着けているのも分からないくらいの方がいいんじゃないかとか、どんどん変わっていきました」と小松さん。「誰も見たことがないデバイスを描いてください」という無理な注文になりかけたんだとか。

イラストを検討する段階で、新しい発想が芽生える場面もありました。「家単位での分散型インフラ自給を可能にする『ブロックハウジング』」では、「ハチが電気を運ぶ」というアイデアが生まれました。関わっていた矢ヶ部さんは「絵の中に花が描かれていたので、花があるならハチが飛んでくるだろうと。そこでメンバーが、ハチが電気を運ぶことを思い付いたんです。ビジュアル化の過程で発想が広がっていく感覚がありました」と思い返します。

未来シナリオの完成をもって、プロジェクトは一つの区切りを迎えました。德岡さんは今回の経験を通じて、「未来を考えること」に対する認識が変わったといいます。「単に未来を予測するのではなく、どういう価値観の未来をつくっていくのかという、その価値観の部分を議論することが大事なんだと感じました」
矢ヶ部さんも「技術者とアカデミアと生活者視点という3者がお互いの価値観や考え方を共有したことで、私たちだけでは発想できなかった未来の絵が描けたと思います」と話します。「自分たちの中では当たり前だったことが他の方から新鮮に受け止められたり、逆に自分たちには思いも付かない発想がどんどん出てきたりして、とても刺激的でした」とも。
小松さんも「IHIはBtoBの会社なので生活者に近い発想が薄れていくところが議論の中でも見られて、技術と社会の関係に強みを持つ博報堂さんに軌道修正してもらうことがありました。一方で東京科学大学さんからは最先端のアカデミアの知見を得て、それを生活者に対して技術的にどう落とし込むかと、3者で考えられたのは良かったです」と同意します。

その後社内では、それぞれの未来シナリオに描かれているものを「機能」に分解し、参加メンバーが専門としている技術とクロスさせて、IHIの将来的な技術テーマを検討。これを今後さらに具体化させていく予定です。しかし、「必ずしもこのシナリオを実現することが目的ではありません」と坂元さん。「こういった未来シナリオを作っていく力と、作られたものから何を読み取って研究開発に落とし込んでいくのかという力を付けられるといいかなと思っています。それを社内にも広げていけたら」

プロジェクトを通じて得た成果は未来シナリオだけでなく、参加者一人一人が異なる視点や価値観に触れ、自分たちの思考の前提を問い直す経験そのものでした。目の前の技術課題を少し離れた場所から眺めてみる。異なる専門性を持つ人と対話する。当たり前だと思っていた前提を疑ってみる。その積み重ねが、既存の延長にはない、全く新しい研究開発を生み出す力になっていくのかもしれません。
取材協力:
坂元 理絵|技術開発本部 管理部
德岡 慎也|技術開発本部 統合開発部
小松 寛|技術開発本部 技術基盤センター 材料・構造技術部
矢ヶ部 菜月|技術開発本部 技術基盤センター 先進生産プロセス技術部
後藤 周作|技術開発本部 技術企画部 共創グループ
東京科学大学が博報堂の未来洞察プロジェクトと連携覚書を締結|東京科学大学
https://www.isct.ac.jp/ja/news/y8pseclvbefs
博報堂 生活者発想技術研究所、東京科学大学と連携し、独自の「未来洞察」手法を活用した「ビジョン構想・推進人材」の育成支援を開始|博報堂
https://www.hakuhodo.co.jp/news/newsrelease/267213/
【未来シナリオ公開】AI-Powered Resilient Society 2050(IHI×東京科学大学×未来洞察プロジェクト)|博報堂生活者技術研究所
https://hassogiken.jp/article/news_260428/



