PROJECT

「答えのないものづくり」
という獣道へ

技術開発エンタメ番組「魔改造の夜」で奮闘したIHI。同番組を出発点に、ものづくりの未来を考えた冊子の刊行を記念して行なわれた社内イベントの模様をレポート。井手社長が「王道」という言葉に込めたメッセージとは。

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技術開発エンタメ番組「魔改造の夜」で奮闘したIHI。同番組を出発点に、ものづくりの未来を考えた冊子の刊行を記念して行なわれた社内イベントの模様をレポート。井手社長が「王道」という言葉に込めたメッセージとは。

「『魔改造の夜』は、お客さまからのリクエストに応えて何かをつくる仕事とは、全く異なるものづくりでした。みんなが自発的に集まって、課題を思い思いに解決していくプロセスは、いってみれば『獣道』のようなものだったのです」

2023年3月22日に豊洲IHIビルで「魔改造の夜」プロジェクトをテーマとして社内向けに開催されたイベントで、社長の井手博はこう語った。

「魔改造の夜」とは、NHKで放送されている技術開発エンタメ番組。ものづくりを手がける企業が主催者から出されたお題に取り組み、玩具や家電などの改造に鎬を削る内容が話題となり、BSでの放送を経て2023年4月から地上波への進出を果たした。 IHIは、2022年8月の放送回に出場。「ネコちゃんのおもちゃを魔改造し、6m落下させ、計25m走らせる」、「電気ケトルを魔改造し、綱引きする」という2つのお題に取り組み、健闘した。

IHIチームによる「スチームパンクビクトリー」。IHIの祖業ともいえる「蒸気機関」を短い期間で再現した。
「ブルーニャンパルス」は、同番組で最優秀ナイトメア賞を受賞した。

これは「遊び」ではない

井手が語るように、IHIが通常の業務で取り組むような巨大案件とは異なり、短い期間でプロトタイピングを繰り返した魔改造の夜における1カ月半の製作プロセスは、「社内副業」制度を活用してプロジェクトに参加したメンバーに大きな刺激を与えた。「これは単なる遊びではなく、IHIの新しいものづくりのきっかけになりうるのではないか?」という声も少なくなかったという。

そんな声を受け制作されたのが、冊子『IHI・ものづくりの未来:「魔改造の夜」から考える』だ。IHIの技術開発本部と1年半にわたり対話してきたコンテンツディレクターの若林恵が率いる黒鳥社が、「魔改造の夜」に関わった社内外のメンバーへのヒアリングをもとに、今回のプロジェクトから得られた学びを抽出した内容となっている。

冒頭で引用した井手の発言が出たイベントとは、同冊子の刊行を記念したもの。前半はIHI社長である井手と黒鳥社の若林による対談、後半はIHI「魔改造の夜」プロジェクト発起人の佐藤彰洋と同プロジェクトを支えた社内副業事務局の塩地祐貴、冊子の編集を務めたフリーランス編集者の矢代真也と若林によるトークセッションが行なわれた。

2時間に及んだイベントでは、冊子で語られた内容を出発点に、変化が激しい現代においてIHIがいかに変わるべきか、「新しいものづくり」の在り方や「社内副業」などの制度の今後について、議論が交わされることとなった。

左から、黒鳥社の若林恵、IHI社長の井手博、IHI「魔改造の夜」プロジェクト発起人の佐藤彰洋。

ゲスト
井手 博(IHI代表取締役社長)
若林 恵(黒鳥社 コンテンツ・ディレクター)
矢代 真也(編集者)

ファシリテータ
佐藤 彰洋(IHI「魔改造の夜」プロジェクト発起人)
塩地 祐貴(社内副業事務局)


「三角ベース」としての魔改造の夜

「野球の本をいくら読んでも、野球はうまくならないと、デザインコンサルティング・ファームIDEO創業者のトム・ケリーに教わったことがあります。いまフィールドで活躍している選手は最初にルールを頭に入れてからプレイし始めたわけではなく、実際に身体を動かすなかでコツをつかんでいったはず。それと同じことが『新しいものづくり』にもいえるはずです」

テクノロジーやカルチャーを扱う雑誌『WIRED』日本版の編集長を務めていたときの経験を踏まえながら若林は対談の冒頭で、こう話した。技術開発本部とともに社内のヒアリングなどを行ないながら、IHIのものづくりの未来を考える壁打ち相手を務めてきた若林は、魔改造の夜が「三角ベース」として機能したのではないかと分析する。

ブルーニャンパルスの脚の機構は、精密加工を得意とする部署と連携して製作された。

「新しいものづくり」と聞くと、世の中にない革新的なプロダクトを開発したり、それを世の中に問うための事業計画を立て、何十億という予算を獲得したり、といった大仰なプロセスが想起されることが多い。「新しいものづくり」を経験していない多くの日本企業にとって、これは間違いであると若林は言う。まるで野球のルールを知らない人間がプロ球団と対戦するようなもので、それは経験を積むための試合にすらならない、と。テレビ番組という枠組みのなかでの「遊び=三角ベース」だった魔改造の夜は、新しいものづくりを積み重ねていくための一歩目として機能したのだ。


「王国」はいつか崩壊する

一方で、冊子のなかで巻頭インタビューに答えた井手は、そこで語った「IHIのメンバーの多くは、すでにある王道を行くことしか知りません。だからこそ、『脇道』にそれることを促進する枠組みが必要なのです」という発言を、こう補足した。

「ぼくが王道という言葉を使ったのは、王国は絶対に崩壊するから。いまの王国にしがみついていても、その先には衰退しかない。ただ、国は滅びても、次の道が必ず現れる。それが歴史です。そんな新しい王道の始まりは、獣道のようなもの。どの道が王道になるかは、誰にもわからないのです」

井手博︱IHI代表取締役社長
スチームパンクビクトリーは、放送終了後も改良が加えられ、バージョンアップを果たしていた。

日本社会全体が大きな変化を目の前にしているなかで、社会がより予測不能なものになりつつあることは疑いようがない。だからこそ、先が見えない状況で将来のための「種」を蒔き、それがどう育っていくか調整するしか、前に進む方法はないのかもしれない。

つまり、過去のものづくりが「出来上がり」をデザインするものだったのに対して、これからのものづくりではプロジェクトを起こすために「始まり」をデザインすることになる。井手は、そのためには遊びから生まれる発想の豊かさが重要だと説く。

「魔改造の夜には楽しさがあったから、メンバーは走り切れたわけですよね。社内副業という制度があったからこそ、自発的な気持ちで様々な所属の人たちが参加し、ひとつの成果につながった。知見の違いがもつ多様性によって、魔改造の夜のような取り組みが増えれば、おのずと獣道が地ならしされて王道になっていくのでしょう」 そんなエールを送りながら井手は会場をあとにし、イベント前半の井手と若林の対談は幕を閉じた。


複数のゴールを設定する

その後、前半の対談で司会を務めた技術開発本部の佐藤と黒鳥社の若林に加えて、社内副業事務局の塩地祐貴と冊子の編集を務めたフリーランス編集者の矢代真也を迎え、後半のセッションがスタートした。 まず塩地が語ったのは、「社内副業」という制度の今後について。今回のプロジェクトで社内副業が果たした役割を振り返りながら、社員の自発性を活かし、失敗を恐れない実験の受け皿として今後も機能させていくために、どうすればよいかを考えているという。

左から、黒鳥社の若林恵、フリー編集者の矢代真也、社内副業事務局の塩地祐貴、IHI「魔改造の夜」プロジェクト発起人の佐藤彰洋。

ここで話題になったのは、「ゴールをいかに複数設定するかが重要になるのでは?」という若林の問いかけだ。地域での環境保護を例とすれば、そこには「子どものころの美しい風景を守りたい」住民と「新しいビジネスを生み出したい」企業の合意形成が不可欠になる。ここで重要なのは、2つの目的を両立する道を探ることだ。

ブルーニャンパルスの落下テストに協力してくれた横浜事業所の工場。扉の大きさから扱っている製品の規模がわかる。
横浜事業所の工場に設置された「安全五原則」。魔改造の夜では、IHIが長年重要視してきた安全とスピーディな開発を両立することが求められた。

同じように、トップダウンのプロジェクトとは異なり、多様な主体がそれぞれの思惑で参加するボトムアップの「社内副業」を活用したプロジェクトでは、必然的に参加者のモチベーションを調整する必要がある。編集者として参加メンバーにインタビューを行なった矢代は、魔改造の夜でも様々な目標が両立されていたことを思い返した。 「新しい技術に触れられてよかった、というエンジニアもいれば、社外のR&Dの仕組みを知れてよかったという管理職の人もいました。印象的だったのは、社内みんなで盛り上がれてよかった!というお祭り好きや、男性が多いと思われがちなIHIで女性も活躍していることを知らしめたかったという人もいたこと。それぞれの多様なモチベーションが重なりあっていたように思います」


関係性からプロジェクトを動かす

これに対して塩地は、そんな社内副業によって生まれたプロジェクトによって、効率化が過度に進んだ社内のつながりに、人間味を取り戻すべきなのかもしれないと語った。

「毎回お互いの気持ちを調整しながら走っていくプロジェクトが『ご近所付き合い』のような仕事なのだとすれば、いまの会社組織は『マンション暮らし』のようなものなのかもしれません。お互いの顔色を伺うのは面倒くさいですが、それを無駄なものとして省略し効率化していった結果、関係性が固着してしまっている。コミュニケーションの重要性を改めて感じています」

また、IHI「魔改造の夜」プロジェクトの発起人を務めた佐藤は、今回のプロジェクトの進め方には「絶対的な答え」というものが存在しないと感じたことが多かったという。

「普段のIHIの仕事では、科学者やエンジニアが多いからか、世の中を成り立たせているひとつの法則のようなものを追い求めてしまうことが多いんです。一方今回は、社員同士の関係性から物事が解決に向かっていくことが多かった。今後も人と人の間から何かを始めることは意識していきたいですね」

魔改造の夜の拠点となった横浜事業所のi-Baseでは、社内外のスタッフを交え様々なプロジェクトが現在でも進行している。
魔改造の夜で開発に使われた「ものづくりガレージ」に、ケトルチームのリーダーが掲示した、チームをまとめるための決意の言葉。

今後も「社内副業」の名のもとに、社員それぞれの自発性が絡まり合った様々なプロジェクトが始まっていくだろう。そんなときに重要になるのは「興味があるけど何をしたらいいかわからない人にも、役割を与えてあげる」ことだと若林は言う。 「シェアハウスを運営している会社のCEOに話を聞いて驚いたのが、『みんなで何をもち寄るかが大事』と言われたこと。家というリソースを分けるという考え方じゃない、と。目の前にあるタスクを割り振りながらプロジェクトを進めるのではなく、そこにいる人ができることから物事を立ち上げる必要があります。『できること』が人の話を聞くことだけでもいい。それを重要な仕事として評価してあげることが、大事なのだと思います」


獣道を会社として進むために

イベントの最後には、会場に集まった参加者やオンラインで参加した視聴者からの質疑応答の時間も取られた。

なかには、会社の方針として「獣道」のような挑戦を奨励するとなったときに、それによって具体的には社員をどのように評価するのか?といった問いも投げられた。たしかに営業の売上成績、研究開発における特許取得数や論文投稿数と異なり、挑戦というものは評価しづらい。塩地は個人的な見解であると断りながら、社内副業について、こんなことを考えていると語った。

「挑戦を目的にしているので、成功した人が偉いわけではないのは確かですよね。いかに経験を積めたのかが重要な評価ポイントになるのだと思います。さらにその自分が得たナレッジを、隣の部署で同じ失敗が起きないようにシェアする仕組みづくりもできるといいなと思っています」

獣道という険しい道程を歩むことは、多くの場合ひとりでは難しい。ただ「魔改造の夜」では、IHIのなかで自発的に生まれたチームがお互いに助け合い、「ひとりではできないこと」に立ち向かえることが証明された。 一方、会社という巨大な組織のなかで、獣道を歩まんとする社員がお互いに助け合うことができる体制は、いかにして構築できるのだろう? いまIHIは、そんな問いに向き合っているのだ。


ライター:矢代 真也
編集者。東京大学卒業後、2012年にクリエイターエージェンシー、株式会社コルクに入社。三田紀房のマンガ『インベスターZ』の立ち上げを担当し、投資関係の取材、マンガコンテンツの編集・プロモーションを行う。2015年から『WIRED』日本版編集部で、海外取材を含む雑誌・ウェブ記事制作、イベント企画・運営などに携わる。2017年に独立、2019年にSYYS LLC.を設立。『B Corpハンドブック よいビジネスの計測・実践・改善』監訳者。